ヨギプロダクション・劇団め組のある、吉祥寺の魅力をYOGIDASならではのこだわり(独断と偏見)の視点で徹底解明?してしまおう!という“日本初”ドキュメンタリー系ブログです。
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北谷和子ライブへ
北谷和子ライブへ、シャンソン♪いいものですね
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はっきり言って、ヨギダス編集長はシャンソンにはうといほうです。シャンソン歌手といえば、越路吹雪や深緑夏代、金子由香里、そしてシャンソンコンクールでの優勝が歌手になったきっかけという加藤登紀子の名前くらいは知っていますが、それらのみなさんが「どんなシャンソンを歌っているの?」と聞かれたりしても「??」というところでしょうか。
その昔、お誘いがあって一度だけ、青山246沿いにある戸川昌子の店「青い部屋」に行った事がありますが。思い出すことが出来るシャンソン体験?といえば、そのくらいかもしれません。今は無き老舗・銀座の「銀巴里」へも行ったことはありませんし…。で、今回、ファンの方からのお誘いで、北谷和子さんのシャンソンライブに出掛けました。100名?は入場できる会場は、ほぼ満員、みなさんじっと聞き入って、とても感動されていました。
北谷和子さんの曲への深い理解、歌唱力のせいもあり、じっくり聴いていたら「シャンソンもなかなかいいなぁ♪」と初めて感じました。
ヨギダス編集長たちの世代は、ビートルズがギリギリで、ど真ん中がR&B。レッドツェッペリンやピンクフロイドやキンクス世代なんです。イーグルスのホテルカルホルニアやゾンビーズなんて、けっこう聴いていました。あの当時は、天才的なアーティストが早死にしてしまう時代でしたね。
おそらくドラッグでしょうが。ジャニスジョップリンやジミヘンドリックスも、よく聴きました。その頃TVでは「ビートポップス」なんてやっていました。大橋巨泉が司会で、星加ルミ子と言う音楽雑誌の編集長が、当時の洋楽の流れを評論して、洋楽をベストテンから発表していたのが色濃く記憶に残っています。それにしても古い名前、よく次々出てきたものです。
藤村俊二の振り付けで、お立ち台では、杉本エマとか小山ルミなんて、ハーフ系の綺麗なお姉さんが踊っていて、スタジオのガラス板に水森亜土がイラスト書いていましたよ。昔のことはよく覚えている自分に感心!
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60/70年代日本の音楽シーン
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何といってもtulip
何といってもtulip、与儀家代々の定番(^^)v
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物心ついた頃から我が家には「ランチョンミート」なるものが常に常備してありました。終戦後、沖縄から母親が幼い姉を連れて東京に移り住んで来ました。やがて4年後には、父親がシベリア抑留から無事生還して合流いたしまして、その後、私・ヨギダス編集長が誕生したワケでございます。
考えてみると、アタシも古い人間なんだなぁ~(^_^;)。
当時のことで、覚えているのは、年に2回ぐらい沖縄の親戚から大きなダンボール箱が届きまして、その中には沖縄にしか売っていない食べ物が、ギッシリ詰まっておりました。現在のように、流通が発達していませんでしたから、これらの「故郷直行便は超貴重品!」だったんです。ホントに。
あの頃、内地には有りませでしたから…ゴーヤなんて。(当時の沖縄の人は”にがうり”と呼んでいましたよ)。そして、黒砂糖、ちんすこう、tulipのランチョンミート!ランチョンミートも色々あれど、tulipのランチョンミートこそがダントツなんです。本当に美味しいと感動していましたよ。
スパムとか、なんちゃらとか、ランチョンミートは他にも色んなメーカーがあるんですが、tulipのランチョンミートが何故か沖縄人の味覚と相性が抜群!なんです。沖縄ではtulipを「ミート」と読んで、どこの家庭にも常備されていました。母親は「スパムは違う違う!」なんてよく悪口を言っていましたっけ。さて、私のtulipを使ったお薦め料理を一品紹介します。
タマネギを2㎝位の厚さにスライスして、これまた2㎝くらいにスライスしたtulipを、油多めのフライパンで、パパッと炒めてお皿に盛り付けて熱々をいただきます(^^)v。泡盛のロックで食べてみてくださいな。まさしく天国です。「生きていて良かった♪」なんて思わず言っちゃいますから。
スパムさまの名誉のために一言!最近のスパムラインナップで、缶の表面に、いわゆる「スパムおにぎり」がのっているスパムは、なかなか美味しいんですよ。もちろんヨギダス編集長はこれからもtulipですが(^O^)。
チューリップミート
吉祥寺・番屋余市
吉祥寺・番屋余市、イマ流行ってるスタイル?
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浜辺の漁師小屋の雰囲気?って言うんでしょうか。
店先にトロ箱がどっさり積んであって、いかにも活気満々の店構えで、夜は居酒屋として、産地から直送された新鮮魚介を肴に、リーズナブルなお値段で、たっぷりお酒が飲める(^^♪。そして、昼どきは、ワンコインで美味しい丼ランチが食べられる。この手の店、この頃大流行ですなぁ。
 このところ、日本人の「魚離れ」が叫ばれていますから、こうやって日常的に魚を食べる習慣ができるのはいいことです。何でも、青魚に含まれるDHAやEPEとやらは“脳の老化を防止”してくれるといいますから。
でも、よく観察してみると、同じような店でも、繁盛している店と、そうでもない店があります。消費者の好みが多様化しているのは、昨日今日のことではありませんが、たんに安くて品数が多いだけでは、一度くらいは来てくれても、なかなか「おなじみさん」になってはくれないですよね。
先日、出掛けた千葉県柏駅周辺でも、このスタイルの店があったので、ひやかしてみましたが、広い店内はほぼ満員。客層は、20~30代の若い人たちが中心でしたが、昭和の香りを懐かしむような、ヨギダス編集長世代のみなさんも、けっこう盛り上がって、次々に酒や肴を注文していました。
 で、繁盛している店と、そうでもない店の違いですが、よ~く観察してみると、繁盛店は「安くて、美味しい魚介類、メニューが豊富!」なだけでなく、スタッフのアクションが、圧倒的にキビキビしていて、イキがいい!のが目にとまりました。スタッフのイキがいと、魚介の鮮度もより良く感じられますからね。また、お客さんも「もう一品追加しよう!」という気に。そのためにも「元気!」をアピールするのは欠かせない演出といえます。
看板の「浜焼き」は、卓上コンロで焼きながら食べますから、鍋奉行ならぬ、焼き奉行になる人も居るんでしょうなぁ。ウチの役者やスタッフも、よく利用しているらしいですから、見かけたらお声かけください(^_^)/~
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番屋余市
近頃流行りの山ガール
「近頃流行りの山ガール、カラフルでファッショナブル!」
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最近、中高年の方々や若い女性の間で、ちょっとした「登山ブーム」だと、NEWSや報道番組で、紹介しているのを何度か見たことがあります。登山など、自分をいじめることが大嫌いだという友人の話では、一昔前まで女性で「登山が好き!」という方は、おしゃれなんかに全く興味がなく、化粧っ気などはもちろん皆無で、たくましい系体型の方が多かった!といいます。
ヨギダス編集長の危うい記憶をたどってみても、確かにかつての女性登山家、とまではいかなくても、登山愛好家と言われる女性は「そんな感じだった?」という印象があるのですが、いかがでしょう(・・?。
ところで最近「山ガール」などといって、かつての登山用品とは異なるファッショナブルなアウトドアファッションを身に着けて山に登る若い女性が増えてきています。今、アウトドアショップに行くと、カラフルでオシャレな「これが登山用?」と思えるような品揃えに驚かされます。
思い起こしてみたら、ヨギダス編集長にも、やや地味ではありますが「登山歴」と言ってもいいような“過去”がありました。もう、ふた昔も前になりますが、沖縄の親戚が東京に来ると、山に行きたがるので、高尾山やら御岳山辺りは何回か登っていました。意外に思うでしょうが、沖縄は自然には恵まれていますが、いわゆる「山」というものがないんですね。
親戚のおじさんは、高山植物ウォッチングをしたり山道を歩くことが、ことの他楽しかったようで、今思えば、いい親戚孝行が出来たと思っています。若い頃といっても中学生くらいの頃でしたが、独りで山に登った経験も、何回かありました(^^)v。目的とテーマは「山と俺さま」だったかな。
汗を流して早足で登る「俺!」。頂上に立っている「俺!」。「なんてかっこいいだろう!」と、一人で悦に行っていました。ま、たんなるナルシストだったということです。今考えたら笑っちゃいますね!そんなナルシストの割には、危険な山にはゼッタイに登らなかったです。理由は「危ない=怖いから!」あっ、かっこ悪すぎですね(>_<)。ココだけの話にしてください。
山ガール
野口伊織没後10年
「野口伊織没後10年、あっという間でした(-_-)」
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もちろん、私・ヨギダス編集長も含めてのお話ですが、何故“凡人と悪人”は長生きして、多才で魅力的な人間は、若くして逝ってしまうんだろ~なぁ?何て考えが、野口伊織さん没後10年となった今日この頃、ふと心をよぎりました。そうか、あれからもう10年経つんだ。でも、あっという間でした。
伊織さんが亡くなった2001年という年は、考えてみたら自分の周りにも、さまざまな事が、立て続けに起こった年でもありました。
伊織さんが亡くなったのは4月。私事ながら遡る事同年2月に死んでしまった家族同様に可愛がっていた我が家の猫の後を追うように、母親が亡くなったのが5月。海外に目を向ければ、同時多発テロが起こったのが9月!ごく普通に暮らしていても、いつ何時、予想だにしなかったことが起こるか分からないものなんですね。人生って。何も起こらないような気がしても、あっという間に“世の中変っちゃうんだっ”て事を実感させられたのが、今年、3月11日の東日本大震災。本当に、想像を絶する出来事でした。
話しは伊織さんに戻しまして…、そう、2001年は忘れられない年です。コレは自分だけの感覚ではないと思いますが、伊織さん亡き後、パタッと会わなくなってしまった人が何人もいます。伊織さんはいわゆる「中心軸」だったのでしょう。当の本人はそれを全然自覚していなかったから、なおさらカッコよかったんですが(-.-)。伊織さん、テニスを教えてくれたなぁ!ツウしか知らない車をよく知っていて、さりげなく乗ってたなぁ(一_一)。
50歳半ばの大人になって「僕、アノ店嫌いなんだよなぁ~」。なんて言葉がイヤミでなく、さり気なく言えちゃうのも伊織さんならではでした。普通、イヤな感じに思えることも、伊織さんだと妙にオシャレで、それが周りの人を和ませたりもしていたもんでした。話せばきりがないですよ…。
9月1日から始まった「伊織さんの写真展」に行って来ました。色んなことが去来しましたよ。そう、簡単に思い出を語れない。きっと思い出を独り占めしたいのだと思います。伊織さんあなたはスターだったんですね!心から、そう確信しました。みなさま、ぜひ、行って観てください(^<^)。
野口伊織記念館
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