ヨギプロダクション・劇団め組のある、吉祥寺の魅力をYOGIDASならではのこだわり(独断と偏見)の視点で徹底解明?してしまおう!という“日本初”ドキュメンタリー系ブログです。
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市川海老蔵
市川海老蔵、名門に生まれることの重さと責任
2013021501
以前も書きましがた、最近やや体調不良が続いたため、普段あまりない「テレビを見ながら休息を取る」ことがありまして、先日亡くなった市川團十郎さんの特別番組を見る機会がありました。考えたらこのところ、歌舞伎界は不幸や不運が続いていますよね(―_―)。
昨年2月には名女形の中村雀右衛門さんが91歳で鬼籍に入り、8月には市川染五郎さんが舞台の奈落に転落して大けがをおいました。11月には片岡仁左衛門さんと市川段四郎さんが体調不良で休演。そして12月には中村勘三郎さんが亡くなってしまいました。享年57歳という若さでした。
そして先日、市川家の得意技・荒事に新境地開いた名役者・市川團十郎が逝ってしまいました。66歳といえば、昨今の高齢化からみてもいかにも早過ぎです。円熟から枯淡、神妙の域まで達してこそ芸の世界。それを想えば、永訣はいかにも惜しいとしか言いようがありません。実に残念です。
歌舞伎をはじめとした伝統的な芸事は、まさしく文化遺伝子継承の世界です。当代亡き後は、次代がこれを継承し、芸事は連綿と次代へと受け継がれてゆくわけです。市川團十郎は2007年、パリ・オペラ座の公演で、あの“にらみ”を披露し、会場の拍手は鳴りやまなかったといいます。「勧進帳」では、エンディングの見せ場である飛び六方に、オペラ慣れしたパリっ子たちがスタンディングオベーション!異文化の様式美として大評判となりました。
カブキ者の河原芝居は江戸・元禄期には、「西の藤十郎・東の團十郎」と役者にも恵まれて発展し、庶民文化の頂点にまで上り詰めました。そして、明治以降は伝統芸としての基盤を築き、今や世界無形遺産の仲間入り!
かつて「河原もの」と蔑まれていた芸は、数百年という長い年月を経て、富裕層の娯楽に変貌を遂げたようです。昭和40年代前後は、歌舞伎見物がお見合いのコースに組み込まれていたこともありました。それは、この芸事を連綿と継承してきた「家」のDNAに対する憧憬ともいえるでしょう。
それにしても「名門に生まれる」ということは大変なことです。
生まれた時から将来が決まっている梨園の御曹司・市川海老蔵。どうにもならない宿命への反発は相当だったとか。親子とはいえ、同門の先輩後輩のような間柄というのが伝統芸の家庭では普通といいますが「自分の意志と無関係に将来が決められてしまう!」って、やっぱり辛いことでしょうね。
市川團十郎
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